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人と水

生命がこの地球上に生まれて以来35億年もの歳月が経つ。35億年とは、気の遠くなるような、という形容を凌駕して、遼遠な、そして悠久な感慨を私たちの心に抱かせる。そして、その歳月のはじめから変わらぬ姿であり続けてきたもの、それが、水である。

水。水素原子2つと酸素原子1つでできた単純な化合物であるこの物質は、人体の約60%を構成する。人体の細胞は、まさに体液の主物質たるこの水の上に浮かんでいるも同然といえよう。生命の誕生は海の中からだとされるが、人間の体液である生理食塩水の塩分濃度は約3.5%。これは、海水の塩分濃度にほぼ等しい。人体は、海を運びながら、生命の基本単位たる細胞をその海に浮かべて、生きているのである.

人と水との関わりは、このように、外的つながりとしての生命の根源と、内的つながりとしての生命維持という、体内外での、不可思議で、かつ、不可欠な内容をもつものである。生命維持は、母体の体内にある羊水が、胎児の体外にあってこれを守る機能から始まり、誕生後は、主として母乳の栄養分を体内に取り入れる機能として発動する。わたしたちの生命の恒常性は、まさしくこの水の上に成り立っているといえよう。

しかし、この水は、反面で、われわれの生命を脅かす水脈ともなりうる。また、生命を脅かすとまではいかなくとも、健康上の問題を生じさせるもとにもなる。汚濁水でなくとも、水道水には、農薬や重金属類などが微量だが含まれ、また、有害菌類を除去する目的で塩素が混ぜられていることは周知の事実である。また、発がん性のある、いわゆる3トリ(トリハロメタン、トリクロロエチレン、トリクロカルバン)の発生が問題視されているのも、水道水である。飲用水の安全性は、今後、地球規模で考えていかなければならない重要課題である。

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温泉水

戦前の国際学術会議決議の資料から、「地中から湧出する水で、特別な化学成分組成や物理的特性から医学的治癒効果をもたらす可能性があるもの」、これを「鉱泉」と呼ぶ。「温泉」は、「鉱泉」のこの定義に加えて、「泉温が、源泉周囲の年平均気温より常に著しく高い」ことが条件として加わる。ここから、飲用水として現在売り出されている「温泉水」とは、泉温が高い温泉地域からとれた、特別な化学成分組成や物理的特性から医学的治癒効果をもたらす可能性のある物質を含んだ飲用水ということになる。

各地の温泉地には、飲用に供する温泉水が多数見受けられる。温泉水は、特においしいというわけではないが、「体に良さそう」という気持ちで飲用するので、つい二杯、三杯と続く。それで、もちろん病気が治るわけでも、健康が目に見えて増進するわけでは、少なくとも医学的な証明というレベルでは、なかろうが、それでも何となく健康的になってきたような気がするから不思議なものである。

昔から「病は気から」ということが特に民間療法的な立場から言われてきた。これに対して、「健康は気から」ということが、精神神経免疫学という医学分野で研究されている。少ないながら温泉水の研究論文も出ているようだ。温泉水が好きだということもあるが、温泉水が単なるプラシーボ効果でないことをどこか祈る自分がいる。

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湧き水

大地に降りそそいだ雨や雪が地中にしみ込んで、長い年月をかけて流れ下るうちに、 人の力を借りることなく地表に湧き出てきた水のことを、湧き水という。湧き水は、別名、湧泉・湧水・清水・泉などとも呼ばれている。

筆者の田舎には、湧き水を蓄えた井戸が今も残っている.もっとも、いらぬ地方の行政指導が、その湧き水を飲用にすることに懐疑的で、そのために、水道水を主として飲用に用い、湧き水は植物の「肥やし」となっている。しかし、健康的な水という観点から言えば、明媚な山々の地下系脈から流れ出た、微量ミネラル豊富な湧き水と、純水に塩素を混ぜて、有害物質を少々ふりかけられた水道水とを比較すれば、前者に軍配が上がることは、一口試飲してみれば明らかなのだが。

この湧き水が、「地中から湧出する水で、特別な化学成分組成や物理的特性から医学的治癒効果をもたらす可能性があるもの」となった場合、これを「鉱泉」と呼ぶ。湧き水とは、元来、不衛生というよりもむしろ健康増進に資する内容を有するものである。

わが田舎の山々の浄水力で自然浄化された湧き水を口にした後で、プラスチックのかたまり(もちろん浄水器のこと)の中を通って浄化されて出てくる水を前にして、思わずにおいをかぎ、毒味をするかのように少量口に含んで恐る恐る飲み込む毎日に、嫌気のする今日この頃である。

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水道水

蛇口をひねると、水が出る.その水をコップになみなみついで、口に持っていき、ごくりとやる。水道水には有害な物質がたくさん含まれている、という報道や健康関連の記事が、心のしこりとして、水道水を飲み干した後の、後味の悪さとして、残る。もっとも、筆者は、水道水を「直に」口に入れることはないが。

日本の水は、世界でも有数なおいしさを持つという。もちろん、この「水」は、水道水のことではない。水道水とは、いつかまずい水の代名詞的な存在となってしまった。もっとも、まずいだけではなく、昨今の水は、有害物質の混じったものとして、不健康な水とされている。

水のまずさは、基本的には、塩素が原因である。そして、塩素自体は、汲み置きして置けば、あるいは、沸騰させた状態でしばらく置けば、なくなる。それで、おいしくはならないものの、まずさはなくなる。しかし、それでは、有害物質は除去されない。水道水から有害物質を除去するには、それなりの投資が必要になる。何に投資するか、もちろん、浄水器にである。

どの浄水器でもよいか、というと、そうではない。消費者センターなどの実験結果をみると、各社の浄水器の能書きにあるような性能は、初めの数ヶ月というものが大半であることに気づく。健康をお金で買う時代の到来は、実は、水に始まり、水に終わるような気がしている。水道水が、いつの日か、おいしく、健康的なものになることを祈ってやまない。

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水のおいしさ

水は、水素原子2つと酸素原子1つでできているということでは、洋の東西を問わず、世界中どこでも同じ構成である。しかし、水に含まれる微量元素やイオン濃度で、水自体の、いわゆる「味」は、かなり異なっている。また、国によって、民族によって、あるいは、同じ国でも地域によって、水のおいしさは、その土地に暮らす人々の嗜好に関係することから、客観的に水の「おいしさ」を措定することは困難である。

個人的には、平均的な日本人を考えた場合、「この水はうまい」という場面は、水本来のうまみ(水に含まれる微量の物質それぞれの含有量の総体)とは異なって、その他の要因との複合的な関係で招来してくるものだと思っている。たとえば、塩分の多いものを食べた後などのような生理的な水分欲求の場面、開放的な自然の中で飲用する場面、日本百水だと吹聴されて飲用する場面など、「この水はうまい」と言わざるを得ない状況にあってはじめて、われわれは、水のうまさを口に出すのではないだろうか。

これに対して、水のまずさは明らかである。もちろん、汚濁水でなくとも、塩素消毒された水は、生理的水分欲求以外の場面では、やはり「この水まずい」となるだろうし、硬水は軟水に比べると平均的な日本人の口にはやはり合わないと言わざるを得ない。

昨今の水道水のまずさが日本全土を席巻している反動で、「おいしい水」は、デパート、スーパーで、地方産のものやら、外国産のもので、花盛りである。そのうち、ワイン・テイスティングならぬ、ウォーター・テイスティングによる水のおいしさ品評会などという怪しげな催しが出てくるかもしれない。それはそれで楽しいだろうが、水という生命の根源を守り続けてきたもの、人間の基本的組成物質を商品化するしかなくなった世界は、どう考えてもおかしい、と思うのは自分だけであろうか。

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